阿部智里さん第19回松本清張賞・史上最年少受賞者)インタビュー
清張賞と私

阿部智里さん
(プロフィール)
1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中に20歳という史上最年少の若さで第19回松本清張賞を受賞、同年「烏に単は似合わない」でデビュー。同作に始まる『八咫烏シリーズ』は累計100万部を超す大ベストセラーに。最新作は『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』。

小学生の時から作家を志し、中学時代から新人賞への応募を始め、20歳で作家デビューを果たした阿部智里さん。
応募総数521作の中から『烏に単は似合わない』で頂点を極めるまでの軌跡!



小学生の時からプロ作家を目指していました


――阿部さんが作家を目指したきっかけは何だったのでしょうか。
阿部 私は幼稚園の頃から、頭に浮かんだストーリーを絵に描いたり友達に話し聞かせたりしてた子供だったんです。小学生になると文字を習うので、お絵かきの延長で物語を文章で書くようになりました。
その後小学2年生の時、母にすすめられた『ハリー・ポッター』を読んで「文字だけなのにこんなに面白いのか!」と衝撃を受けたんです。さらには物語を書いてお金を得て生活する「作家」という職業の存在も知って「これは自分の天職だ!」と思いました。
それまで物語を書くのは遊びの一環でしたが、それからは職業のような意識で書くようになりましたね。本気で小学生作家デビューを考えていましたから(笑)。

――それ以降の執筆活動はどうでしたか。まだそのころは小学生だったと思いますが。
阿部 なかなか自分で納得できるものが書けなくて苦しんでいましたね。『ハリー・ポッター』的な大長編ファンタジーを書くつもりが書く体力がもたずに、毎回尻切れトンボになってしまって……。結局「小学生デビュー」は果たせませんでした。
烏に単は似合わない
受賞作にしてデビュー作『烏に単は似合わない』。
『八咫烏シリーズ』はここから始まりました。
『八咫烏シリーズ』特設サイト
http://hon.bunshun.jp/sp/karasu

初めての応募は中三の時


中学を卒業するくらいの頃、ようやく自分が納得できる作品が書けたので、あるライトノベルの賞に応募してみたんです。でも箸にも棒にもかからず、一次選考も通りませんでした。このままじゃだめだ、と思いながら高校に進学したことを覚えています。

――高校進学の後はどうでしたか。
阿部 文芸部に入ったり、友人やいろいろな人に作品を読んでもらったりはしていたのですが、納得いくものはやっぱり書けず、焦っていましたね。自分で自分の作品に対して、カテゴリーエラーを起こしているかもしれない、という不安も大きかったですね。自分はライトノベルやファンタジーを書いているつもりだけれど、書かれたものはそうではないかもしれないという不安……。

――自分での判断は難しいですからね。
阿部 はい。でも高校2年生の時に大きな転機があったんです。高校の開校記念式典でOGの方の記念講演があったのですが、その方が文藝春秋の編集者だったんです。作家になかなかなれないという私の悩みをとにかく聞いてもらいたくて、講演の後で部活も「帰りの会」もすっぽかして、控室の校長室に突撃しました(笑)。


松本清張賞は知らなかった


――どんな話をしたのですか。
阿部 私は自分の悩みを長時間に渡って縷々述べたのですが、その方は話を本当に辛抱強く聞いてくれた後で私に「本気で作家になりたいのなら松本清張賞に応募してみなさい」と言って下さったのです。

――清張賞のことはそのとき知っていたのですか。
阿部 知りませんでした。名前からしてすごく敷居が高そうで、自分が書いているライトノベル的な小説が通用する賞なのだろうかと思ったのですが、その方からは「清張賞は広義のエンタテインメント小説に対しての賞で、ジャンルが指定されているわけではないから、阿部さんが心配する”カテゴリーエラー”ということはあまりない。この賞出身でプロとして活躍する作家は多いし、本気で作家を目指すなら、いい選択肢だよ」と言われました。
そのときは『玉依姫』の原型となるものを既に書いていたのですが、締切ぎりぎりまでそれを改変・推敲して応募してみました。そしたらなんと二次選考まで通過したんです。今になって読み返してみると本当にひどいものですが(笑)。
中間発表
初めて予選を通過、中間発表で初めて名前が掲載される。
16歳の時は惜しくもここまで
(「オール讀物」2009年4月号)


落選してわかったこと


――でも別の賞に応募したときと比べると、大きな進歩ですね。
阿部 はい。そのときはこれまでにない手応えを感じました。その後、16歳の高校生が落選したことへのフォローだったのかもしれませんが、私に関心を持って下さった文春の編集の方と話をすることになりました。母校で講演をされた方とは別の方でしたが。

――その時はどんな話をしたのですか。
阿部 やはり「なかなか作家になれない」という不安は払拭できなかったので、そのことを率直に話しました。すると逆に「君はどうしてそんなに焦っているんだ」と言われました。そして「そんなことを考えるより、とにかく実力をつけること。我々は常に面白い本を出したいと思っていて、実力のある人間はいつでもデビューさせる用意がある」と言われました。そのとき、小学生の時から背負っていた焦りのようなものが初めてすとんと抜けた感じがしました。

――なんだか憑き物が落ちたような……。
阿部 そうですね。それからは意識的に、じっくり焦らず書くように心がけました。小説ばかり書くだけではなく、時期を決めて大学の受験勉強もしました。
その後、大学入学の後にあらためて書き始めた『烏に単は似合わない』で清張賞に応募をして、大学3年生の時に受賞することができたんです。
「オール讀物」表紙
松本賞受賞作が発表された「オール讀物」表紙
(2012年6月号)


決定発表ページ
決定発表ページ。521篇の応募作から阿部さんの作品が選ばれた。
――阿部さんが20歳の時でしたね。受賞の知らせを聞いていかがでしたか。
阿部 面食らいましたね。嬉しさよりも驚きの方が大きかったというか(笑)。自分の中では「最終選考に残るまでは実力、そこから先は運」と考えていましたから。実は受賞より最終選考に残ったときの方が喜びは大きかったです。
でもいまよく考えてみると小学生デビューはともかく、16歳でデビューできなかったことはかえってよかったことだと思いますね。実力がないのは明らかだったし、デビューしていたとしても「16歳」という話題性だけで消費されてしまっていたかもしれませんし。

――自分の本が書店に並んでいるのを見てどう思いましたか。
阿部 実は直接見るよりも先に、編集さんと書店さんでアルバイトしていた友人が、陳列されている写真を送ってくれたんです! 私も同じ書店さんでアルバイトをしていた経験があるので、随分と気合を入れて飾りつけてくれていました(笑)。でも、単純な喜びよりも「ここからが勝負だ」という神妙な気持ちの方がずっと強かったように思います。

――賞金500万円は何に使いましたか。
阿部 全部貯金しました。「いい経験になるし、一度パーッと使ってみたら?」と選考委員の先生に言われもしたのですが、結局、怖くて出来なかったですね……。現実的に考えて、一年後、十年後に無収入になっている可能性は十分にあるわけですし、いまも油断は出来ません。もし受賞したら、と夢想しているときが一番楽しかったように思いますが、家族には「受賞してから考えなさい」と言われ、いざ受賞したら「え、貯金以外ないでしょ?」と軽くあしらわれてしまいました(笑)
選評ページ
選評ページ(部分)。厳しくかつ暖かい筆で評価が記されています。
――『烏』で清張賞を受賞してから今年で5年になりますね。5年のあいだにどのようなことが変わりましたか。
阿部 基本的なことは全然変わっていません。学校(大学院)に行って勉強して、家に帰って小説を書くという生活のサイクルはずっと同じですから。昔から「プロの作家になりたい」と公言していたので、周囲の反応も「やっと(作家に)なったのか」みたいなものでしたし(笑)。
学校での勉強は小説のためにしているので、将来的にはもっとよりよい形で小説に還元できるようにしたいですね。
受賞記念エッセイページ
受賞記念エッセイページ(部分)。既にして作家としての覚悟が読み取れます。

選考はとても誠実に行われています


――清張賞を目指す方にメッセージを。
阿部 清張賞を受賞してすぐに、ある編集の方から「これからいい本をいっぱい作っていきましょうね」と言われて、とても安心したんです。その後もいろいろと教えられたり守られたりして、あの時抱いた安心感は全然間違いではなかったことが分かりました。
受賞してからこの賞の内側を時々見る機会がありましたが、選考はとても誠実に行われていると思います。本気でその後の一生を作家として過ごしたい方には、本当におすすめの賞です。経験談としてこのことは申し上げたい(笑)。

――第25回から松本清張賞はWEB応募の受付と、二次選考通過者への予備選考会時の講評(※)が日本文学振興会から郵送で送られることになりました。
阿部 WEB応募ならプリントアウトの必要がなく、締切ぎりぎりまで直せていいですね。講評は、私も本当に欲しかった! 最終選考の手前で作品がどのように論議されたかなんて、書いた人間は喉から手が出るくらい(笑)知りたいと思うに決まっていますから!


※予備選考とは日本文学振興会が委嘱した複数の予備選考委員が応募作に目を通し、A・B・Cの三段階評価を行うこと。予備選考には一次・二次があり、最終候補作四作は二次選考通過作(十作あまり)から選ばれる。二次通過者は「オール讀物」四月号掲載の中間発表に太字で示されます。
※本インタビューは2017年に収録されたものです。

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